幸福的東京聖誕



第一次十二月到東京出差。出發前只是擔心自己會受不了東京的冬天,沒想到卻意外地享受到聖誕節的氣氛、參加了島田老師的忘年會。這也是我第一次參加日本出版社的忘年會。看到日本出版社的編輯和島田老師的互動,心裡滿滿的感動。


我想起了前年島田老師來台後,他在故鄉福山辦第二屆「島田莊司展」,那時福山文學館邀請了所有島田老師的編輯寫篇文章,然後收錄在展覽的別冊中。


今天又翻開了那本別冊,才驚覺自己竟然在這兩年間都透過老師認識了他所有出版社的編輯。一種神奇的不可思議感。


特地挖出當初的文章跟大家分享。也配合當初刊登的形式,以中日對照的方式呈現。



擔當編輯的榮耀


第一次,希望自己也是個有潛力的年輕推理作家。


島田先生剛到台灣的第一天,在吃過晚餐後,他突然問:「你們在場有人寫小說嗎?」我愣住了,第一次聽到作者問出版社的編輯這個問題。發現沒有人舉手之後,他思索了一下,沒有說話,然後就結束了這個話題。之後,每次他跟記者或讀者見面,總不忘問:「你們之中有人寫小說嗎?」如果有人寫小說,他的眼睛會整個亮起來,開始跟對方討論創作的內容和細節,最後會鼓勵對方,要他們把大綱翻譯成日文給他看。
島田先生離開台灣後,最關心的就是如何把台灣的推理作家介紹給日本的出版社。台灣的推理作家受到前所未有的重視,這是我第一次,希望自己也是個推理作家,可以受到大師的青睞和指導。


二00二年,因為前一位日文主編離職,長久以來專門負責歐美市場的我,被公司指派兼任日文主編的缺職,扛下日文選書的工作。第一份工作,就是研究島田莊司先生的作品,為二00三年的開始的「島田莊司推理傑作選」做準備。在籌備的過程當中,我瀏覽了無數台灣和日本推理迷的網站,因此結識了幾位台灣的資深推理迷,他們開始把皇冠的島田莊司作品出版計畫發佈給同好,消息一傳開來,台灣的推理界開始騷動。


籌備了一年之後,在推理迷的殷切期盼下,皇冠在二00三年八月正式出版了《占星術殺人魔法》,啟動了台灣的推理書市,也讓日本推理小說在第一次在台灣登上暢銷排行榜,皇冠一年出版三本島田莊司作品的計畫,獲得台灣推理迷相當大的支持。二00三年,推理迷網路票選「台灣年度最值得回味的推理小說」,《占星術殺人魔法》以壓倒性的票數獲得第一名的殊榮。而另一個票選活動「年度最值得紀錄的推理小說相關事件活動」,「皇冠對於島田莊司先生的作品出版計畫」也在同時獲得了最高票。緊接著,二00四年,不管是日本的推理小說在台灣,或是台灣本土的推理小說創作,像火一般延燒起來。島田莊司先生的作品,在某種程度上都直接或間接地影響了台灣新一代的推理小說創作。讓我們感到驕傲和欣慰的是,皇冠出版的推理小說,也在推理迷心中,占有了一席之地。


推出島田莊司先生作品的三年後,我們決定將台灣推理迷心中的「推理之神」邀請來台。為了不負作家和讀者的期望,我們為此活動籌備了長達八個月的時間,終於在二00七年四月,島田莊司旋風,席捲了台灣。島田先生受到熱烈地歡迎和掌聲,而島田先生也以同樣的熱情回饋了讀者。乾渴了多年的推理迷和推理創作者,在這一刻,得到了滿足。面對將近三百個書迷認真的眼神,在島田先生旁邊工作的我,受到相當大的感動。


島田先生回到LA後,我在六月前往東京拜訪日本出版社,在這趟旅行當中,在島田先生的引薦下,我跟光文社、講談社、文藝春秋、原書房、南雲堂和東京創元社的擔當編輯們碰了面,跟他們分享了島田先生在台灣的活動。這對台灣的編輯來說,是個再難得不過的經驗了。我第一次感受到自己也是屬於島田莊司先生的擔當編輯群中,不再只是個陌生的台灣出版人而已。從事多年的外文書編輯經驗,也是我第一次,如此地接近作者的創作和編輯核心。


島田先生的作品,影響了日本和台灣。相信在未來,他的作品藉由翻譯,會陸續影響中國大陸、韓國、泰國或是印尼等國,他們都會感受到島田先生作品的魅力和深度,進而激發自己的本土創作,而推理小說在亞洲的復興,就在眼前了。


島田先生對創作的認真態度和對創作者的支持與熱情,讓人欽佩和感動,而我,以能成為他的編輯為榮。


担当編集者の誇り

日本語訳◎大津留汐子


「私も才能ある若手推理作家だったら・・・・」


島田荘司先生が訪台した初日の夕食後、先生は、ふと一緒に食事をしていた私たちにこう切り出しました。「皆さんの中で、小説を書いている方はいますか?」私は突然の先生の質問に驚きました。出版社の編集者をしていて、作家の方にこんな事を聞かれるのは初めてだったからです。そして、誰も手を挙げなかったことに気付いた島田先生は少し考え込んでからちょっと無言になってしまい、この会話もそこで途切れてしまったのです。それ以後、台湾で報道関係者やファンの読者達と会う時、島田先生は忘れずに「皆さんの中で、誰か小説を書いている方いますか?」と聞くのでした。もし誰かが、「私は小説を書いています」と答えたら、島田先生は目を輝かせて、そう答えた相手の作品の内容を丁寧に聞いて話し合い、そうして最後に、「作品が仕上がったら小説の内容を日本語に訳して読ませて欲しい」と必ず言うのでした。
台湾から帰った島田先生が関心の一つは、台湾の推理作家達をどうしたら、日本の出版社に紹介できるだろうか。という事でした。ミステリー界の大家である島田荘司先生と会って、直接に自分の作品についても話す機会を持って、台湾の推理作家達は本当に思いがけない貴重な機会を得ることができました。先生の丁寧な指導と若手作家たちを励ます姿を間近で見ていて、私はとても羨ましく思い、自分も推理作家として彼らと一緒に先生に励まされたい、私も才能ある若手作家であったらと思ったのでした。


「島田先生を台湾読者に会わせたい」


2002年に日本語版権の担当編集長が辞めた為、その頃、欧米の翻訳出版の担当をしていた私は、日本語版権の担当も兼任することになりました。最初の仕事は、島田荘司先生の作品を研究して、2003年からの予定で計画していた台湾版「島田荘司推理傑作選」の準備をすることでした。準備をしている時に、私は沢山の台湾と日本の推理小説ファンクラブのサイトを行き来しているうちに、何人かの台湾人の推理小説ファン達と出会う事ができました。彼らは、私たちの出版社が島田荘司先生の作品を出版する計画がある事を知って、クチコミでその話題をファンクラブや仲間に話したので、たちまち大きな話題となり、台湾の推理小説ファンの間で噂となって広まっていったのです。


その後1年の準備期間を経て、20038月に推理小説ファン待望の「占星術殺人事件」を出版して、台湾の推理小説の市場は広がっていきました。「占星術殺人事件」は、台湾のベストセラーランキングになった初めての日本の推理小説となりました。私たちの会社で、一年に三冊の島田先生の作品を翻訳出版する計画は、沢山の台湾推理小説ファンの支持を得ることができたのです。2003年にネット上で行われた推理小説ファンサイトによる「2003年度最も読みたい推理小説」の読者投票で、「占星術殺人事件」は圧倒的な票数で第一位になりました。そして「1年間の内で最も評価すべき推理小説関係の活動」では、「皇冠出版社の島田荘司作品出版計画」も同時に第一位を取ることができました。2004年には日本の推理小説だけに限らず、台湾の推理小説創作活動にも火がついたように盛り上がってきました。島田先生の作品は、直接的にも間接的にも、台湾での新世代の推理小説の創作活動に大きく影響したのです。私が誇りに思う事は、私たちが出版した推理小説が、推理小説ファンの間で一定の地位を築き上げる事が出来たことでした。


島田荘司先生の作品を刊行してから3年後、台湾の推理小説ファンの為に、彼らの「神様」を台湾に招待しようと決めました。作家さんや読者の期待を裏切る事の無い様にと、この一大イベントには8ヵ月近くの時間をかけて入念な計画を立てました。20074月、やっと実現した島田荘司先生訪台の旋風は、台湾の推理小説ファンを席巻したのです。台湾の読者は先生を熱烈に歓迎し、先生も、同じ様に熱心に読者や報道に答えてくれました。長いことこの時を待ち焦がれていた推理小説ファンや推理小説の作者も、先生と一緒に参加できる数々のイベントを楽しみました。300人が集まったイベントで、ファンの質問に対して熱心に真剣に話されている先生を見て、傍らで手伝いをしていた私もその真摯な態度にとても感動して、先生が台湾に来てくれたことに感謝しました。


島田先生がアメリカに帰られた後、6月に東京への出張の機会に、光文社、講談社、文藝春秋、原書房、南雲堂そして東京創元社の担当編集者を訪ねて、島田先生の台湾訪問の様子を報告しました。これは島田先生の勧めでもありましたが、私はこの時に初めて、ただの台湾人の編集者の一人ではなく、日本の沢山の出版社の担当者と同じく島田荘司先生の担当編集者の一人である事を実感して、その責任の重さも同時に感じました。これは長い間、外国書籍の担当をしてきた中で、このようなことを感じたのは初めてでした。

私は編集者として、かつて無い素晴らしい体験をさせて頂いたのです。


島田先生の作品は、日本や台灣の推理小説に大きな影響を与えていますが、今後、中国や韓国、タイ、インドネシアなどのアジアの国々でも、島田先生の作品の面白さや深さに魅了されて、その土地の創作活動にも刺激を与えると思います。推理小說がこのようにアジアでも広がっていくのは目の前の事であると私は考えます。


島田先生の創作への真摯な態度、若手の作家達への指導や支持、作家としても個人としても非常に感動させられます。私は、素晴らしい作家のファンであり、担当編集者の一人であることに大きな誇りを持っています。

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