2009年8月20日 星期四

我們是辦小說獎和展覽的開心農民

島田展LOGO(大).jpg
一向很準時,記憶力過人的我,最近卻老是忘東忘西,被工作追著跑。

雖說皇冠以前開過畫廊,辦過七屆的大眾小說獎,但老實說,我是第一次參與展覽和小說獎的事。這一切好像是你不小心掉進去一場夢裡,結果醒來發現,這原來不是夢,一切真實到即使二十四小時暴增到四十八小時你都覺得不夠用。

第一屆「島田莊司推理小說獎」決選名單,公布了,五十八分之三的機率。這五十八部作品,今年二月底截止以前,是陸續從台灣、中國、香港、義大利、加拿大寄來。

記得小說獎截止日前,我頻頻跑到負責收件的同事那兒問說:「現在投稿來了幾件?」放農曆春節前,投稿還不是很踴躍,我緊張到打給雜誌部負責「皇冠大眾小說獎」收件的同事,想瞭解一下以前的投稿速度。同事安慰我說:「大家總是在最後一刻交稿的,不要擔心啦。」但,我怎能會安心呢!?春假一結束,便趕緊瞭解狀況,知道稿件陸續進稿了,才放下心來。

不過,真正的工作才要開始呢。負責初審的五人小組,進入審稿階段,第一次參與小說獎審稿的我,是既興奮又疲憊。怎麼說呢?因為很期待可以看到很棒的作品,卻又苦於上班時間抽不出空檔看稿,每每得回家熬夜看稿。

這次的小說獎不同的是,得獎者可以同時在台灣、日本、中國和泰國出版。日本的出版社文藝春秋,是辦直木賞和芥川賞的超級出版社,因此我們有很多機會和文春的編輯討論小說獎的事情。讓我不得不佩服日本出版社的嚴謹態度,只能說作家能在日本出書,真的是太幸福啦。這就是首獎者獨一無二的福氣喔。

話鋒再轉到「密室裡的大師——島田莊司的推理世界」特展。皇冠辦小說獎的經驗已經十四年了,雖說第一次辦跨國的推理小說獎,還算是游刃有餘。辦展覽的經驗嘛,我們的畫廊辦過草間彌生的畫展,也辦過張愛玲的文物展。但,這次的「島田莊司特展」,因為我們玩心甚切,一心想帶讀者看到不同的視野,我們根本是豁出去了。眼看著展覽的經費一路往上飆,我們的心臟指數也一路狂奔。

「島田莊司展」先後在島田先生的家鄉福山辦過兩次,最近又在東京池袋展出。一決定要把這個展覽移到台灣的時候,我們研究了在福山的展品清單,決定只借出島田先生的手稿、筆記、畫作和和作品本身有關的模型、繪畫作品。至於島田先生出版過的書籍,發現都只是展出部分作品,並未全面性的展出。所以我向島田先生提出了「展出全部作品版本」的計畫。

攤開島田先生出道三十年的書單,包括日本、台灣、中國、韓國、泰國、美國,超過了三百五十本的作品版本,一開始皇冠本身的收藏僅僅有六十幾本,經過了幾個月的書信往來,透過日本十家出版社的編輯幫忙,終於收集完成。對於能完成這項工作,我們自己都覺得不可思議,超期待看到三百五十幾本書全部展出的壯觀畫面。

為了辦這個展覽,我親自到福山文學館和他們接洽,最近又到了東京池袋要町的推理文學資料館帶回要在台灣展示的展品。再度學習到日本人工作的謹慎態度。他們對借展品的重視和期待,讓我們上緊發條,努力往前衝啊。

前面寫了一堆皇冠對於小說獎和展覽的想法和態度,島田老師好像變得很安靜。錯!島田老師從一開始答應要在台灣辦小說獎、辦展覽,就積極地張羅一切,運用他的廣大人脈,為我們的活動鋪路。

記得在我們宣布辦小說獎的時候,有網友質疑為何要以島田莊司的名義來辦小說獎?但老實說,也有日本人問,島田莊司為何要辛苦地幫台灣背書辦小說獎?最近我聽說阿宅的口號是「一切都是為了愛」,我這會兒也要呼應這句話了,島田老師為我們所做的一切,「都是因為愛台灣啊!」

小說獎和展覽的大小事一堆,我們不僅得和日方做Nnnnnnnnnnnnn次的溝通討論,也得和台灣的廠商、借展者做Nnnnnnnnnnnnn次的溝通協調。在日本,我們有島田老師當靠山,在台灣,我們靠自己的人脈走江湖。經過這段時間的磨練,我不得不說,「人脈」真的是門必修課。

籌備將近兩年的小說獎和展覽,在九月四日就要展開了,最近紛紛收到台灣和日本受邀者的回函卡。我們滿是感謝。前一陣子阿姐看到我勞累的黑眼圈和大眼袋,直呼:「小心啊,摧殘女人青春的殺手!」但還是鼓勵我說:「你們這就像辦世運,辛苦的努力會有好結果的。」

我們這群共同努力打拼的好伙伴,都是開心農場的好農民。

文章出處◎博客來推理藏書閣電子報


感謝玉田誠,讓我這篇小小的文章有了日文翻譯。

日文翻譯◎玉田誠
普段は物覚えの良い私も、ずっと仕事に追われてばかりの最近はちょっとしたことが「抜けて」しまっていたりします。
皇冠文化が七回の小説賞を主催したことがあるといっても、今回の展覧会と小説賞は私にとっては初めての経験で、そのすべてが夢のよう。でも目を覚まして気がつくんです。すべては本当のことで、たとえ二十四時間が四十八時間になっても足りないくらいに忙しい毎日も現実のことなんだと。――
第一回「島田荘司推理小説賞」の入選作がこのたび発表されました。入選作は三作で、これは五十八分の三の確率、ということになるでしょうか。
台湾、中国、香港のみならず、イタリアやカナダからも応募があった今回の賞。でも、今年の二月に応募が締め切られる前の同僚ときたら、それはもう大変だったんです「ねえ、今どのくらい来たの?」と編集室に届いた応募原稿の数が気になって仕方がない様子。でも、この賞に挑戦するみなさんだって、旧正月前はまだまだ本気モードには入っていません。このあたりが「皇冠大衆小説賞」とは違うところで、同僚には「みんな最後の最後まで素晴らしい作品を仕上げてみせようと頑張っているんだから、そんなに心配しなくたって大丈夫よ」と言ってはみたものの、こんな言葉が慰めになろうはずがありません。
でも春休みが終わってみれば、この通り、続々と編集室に届けられる原稿の束にみんなでほっと一安心。
しかし本当に大変なのはこれからです。
下読み担当に選ばれた五人が応募原稿を読んでいくのですが、この作業は愉しいと同時にとっても疲れることでもあるんです。
何ていったらいいんでしょう。
素晴らしい作品に出会えることを期待しながらも、他の仕事の合間に下読みの時間もつくることもできないとなれば、原稿は家に持ち帰って、徹夜で読み通すことになってしまうというわけです。
今回の小説賞が他のものと大きく違うのは、受賞作品が台湾のみならず、日本、中国、タイの四カ国から刊行されるということです。
日本の出版社は直木賞芥川賞でも有名な、あの文藝春秋です。文藝春秋さんからは小説賞についてたくさんの話を聞かせていただきました。
そして日本の出版社の賞に対する真摯な態度には本当に感心してしまった私。受賞作家が自分の作品を日本で出版することができることがどれほど素晴らしいことか――そしてこれは受賞者だけが摑むことのできる幸せでもあるのです。
さて、もうひとつの話題は「密室の中の巨匠島田荘司の推理世界」と題した展覧会です。――海外の作家の名前を冠した小説賞というのは初めてとはいえ、小説賞には十四年のキャリアを持つ皇冠にとって、小説賞の企画じたいはそれほど難しいことではありません。
また展覧会についても、以前に草間弥生展や、張愛玲の文学展を開催したことがあります。でも今回の「島田荘司展」では私たちも思いっきり遊んでやろうと思いました。そして皆さんには違った視点からこの企画展を愉しんでもらいたくて、予算もめいっぱいつぎ込んだんです。私たちの心臟もドキドキです。
「島田荘司展」じたいは、以前にも先生の郷里である福山で二回、そして東京は池袋で開催されたことがあります。
この展覧会の企画が決まると、私たちはさっそく福山から展示品のリストを取り寄せ、福山からは先生の手稿とメモ、先生が実際に描かれた絵画、そして作品の模型を借用することにしたのですけれど、そんななか、福山と池袋では、先生の著作のすべてを展示しているわけではないことに気がついたのです。
そこで、私は島田先生に「台湾では先生のご本のすべてを展示します」という計画を持ちかけたのです。
先生の三十年に及ぶ活躍のすべてを含むご本。つまり、日本はもちろん、台湾、中国、韓国、タイ、アメリカで刊行されたご著書へさらに皇冠文化が収蔵する六十冊をくわえたの三百五十冊すべて。それをここ台湾に集めてみせよう。そして日本の十社に及ぶ出版社との何ヶ月ものメールのやりとりを経て、ついにそれを成し遂げることができたのです。三百五十冊もの先生のご著書がずらりと並んだ様はまさに壮観でしょう。
この展示を実現させるため、福山文学館にも足を運びました。そこでも、何事にも勤勉で真摯であろうとする日本人の姿から私は多くのことを学びました。
こうして展示品をお借りすることができたのですから、こうなったら展示会への期待を胸にしっかりと帯を締めて、あとはもうひたすら努力、努力で、実現に向けて突き進むしかありません。
以前、この小説賞と展示について先生にご意見をおうかがいしても、先生はご自身の考えてらっしゃることをお話ししてくれることはありませんでした。
でも、それはまったく違ったんです!
先生は小説賞と展示会についても、承諾をされたときからご自身の幅広い人脈をフルに活用して、私たちの仕事を支えてくださっていたんです。
私たちがこの小説賞を発表したときに、ネットでどなたかが言われていたことを思い出します。「どうして台湾の賞なのに、日本の作家である島田荘司の名前がついているの?」
 またそれとほぼ同じころだったと思うんですけれど、日本の友達からもこんなことを訊かれました「いったい何だって島田先生はこんなに台湾の賞なんかに力を尽くそうとするのかねえ」と。
最近、阿宅が口にしていた合い言葉で「すべては愛のため」というのを耳にしたとき、私はこう思ったんです。そう、島田先生がここまで私たちのために尽くしてくださるのは、「すべては台湾を愛するがため!」なのです。
私たちがもう数えきれないくらいの打ち合わせを持ったのは日本だけではありません。台湾の協力者の方、そして展示品を借用してくださる方々ともそれは同じ。日本では島田先生が陰でしっかりと私たちを支えてくださり、台湾では私たちが人脈を活かして努力したからこそ、この小説賞と展覧会をこうして実現することができました。そしてこの経験を通じて判ったことは、とにかく「人との繋がり」は大切であるということです。
準備に二年間をかけた今回の小説賞と展覧会。開催日の九月四日が近づいてくると、台湾と日本から次々と招待状の返事が送られてきました。
私たちは感謝の気持ちでいっぱいです。
それとついこの前のこと。働きすぎて目の下に隈を浮かべた顔を見られて、姉には「働き過ぎは若さの大敵よ!」なんて言われてしまった私。でも、こう言って自分を励ますんです。「オリンピックのように、大きな努力があるからこそ素晴らしい結果がもたらされるんだ」だって。
私たちはお互いに力を合わせて、農地を耕し素晴らしい作物を実らせる愉快な農夫なのですから。

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